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ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
今回は「機械式時計を知ろう!」シリーズの第2回目といたしまして、機械式時計の歴史について解説していきます!
前回の記事はこちら!
「時計産業が発達している国は?」と聞かれて、スイスがいちばんに思い浮かぶ方が多いと思います。
では、なぜ時計王国と呼ばれるほどスイスで時計産業が盛んになったのでしょうか。
そこには、学生時代に世界史の授業でも聞いたことのある出来事が背景にあったりするのです。
さっそく詳しく見ていきましょう!
16世紀の時計産業の中心地フランス、ドイツ
16世紀になると、南ドイツのニュルンベルクとアウグスブルク、そしてフランスのパリとブロアに、ヨーロッパ大陸の交通の要地としてあらゆるモノや情報が集まります。
とりわけ珍しい時計は商品価値を持ち需要が生まれ、時計職人が集まって時計工業がヨーロッパで初めて成立します。
鍛冶工、錠前工、宝石工などもそれなりの職業的知識を必要としましたが、特に時計工は高度で精密な計算を必要としたために、当時では最高の知能集団と言われていました。
また、いずれも、ルター、カルヴァンの宗教改革の革新的な地域であり、プロテスタントでは職業を天職とみなして仕事に励むことが肯定されていましたので、益々時計工業は繁栄していきます。
しかし、17世紀に入りフランス、ドイツでの時計産業は衰弱していくこととなります。
この背景には16世紀にヨーロッパで展開された宗教改革(1517)が大きく影響しているのです。
宗教改革とはルターがカトリック教会の腐敗を攻撃して始まったキリスト教改革運動です。
とりわけ、フランスでは弾圧が激しく、ユグノーといわれるカルヴァン派の新教徒と体制派が争った1562~1598年の長きにわたる宗教闘争「ユグノー戦争」がありました。
この戦争は、新教徒の信仰の自由を認めるナントの勅令(1598)がフランス王国より出されたことにより終結しましたが、混乱の間に多くのユグノーは宗教的迫害から逃れて国外へ避難していったのです。
また、ドイツでも最後の宗教戦争と言われた三十年戦争(1618~1648年)のために、ニュルンベルクとアウグスブルクでの時計産業は長期にわたって衰退の一途を辿ります。
スイス時計産業の発祥
知的水準の高い技術を持ったユグノーの多くが逃げ込んだのはスイスのジュネーブでした。
当時のジュネーブでは彫金やエナメル細工など豪華で華美な宝飾細工品が作られていました。
しかしカルバンの改革は協会の制度のみならず市民生活にまで及ぶもので装飾品などの贅沢品は厳しく制限されていました。
そのため生計をたてるのが難しくなっていたジュネーブの金細工師達は時計製造技術を持ったユグノーの助けを借りて時計作りに転じ、その優れた美意識と卓越した技術力を時計作りに投入していくことになるのです。
●=時計メーカーが多い地域
17世紀後半になりナントの勅令が廃止されると(1685)、再び多くのユグノー達がジュネーブに逃げ込み、すでに組織化されていたジュネーブの時計工業はさらにふくらんでいきました。
やがてカルバン派の戒律が緩められると制限されていた装飾工芸は復活し、時計作りの技術と結合して美しい装飾を施した時計がジュネーブを代表する工芸として定着していったのです。
1735年には、世界で最も古いブランドといわれているブランパンの開祖ジャン・ジャック・ブランパンが工房を開き、続いて1738年には、ピエール・ジャケ・ドロー、1755年にはジャン・マルク・ヴァシュロンが工房を開設します。
また、ヌーシャテルに生まれたアブラアン・ルイ・ブレゲは、1775年にパリに時計店を開き、時計の歴史を200年早めたといわれる数々の新機構や意匠を生み出していきます。
世界一の時計王国スイス
ジュネーブ職人たちの間では一人がひとつの作業を行う分業体制が整っていた他、貴金属や宝石の加工において豊富な経験を有していたこともあり、それを時計製造に活かしたことによって短時間で一大産業を立ち上げることに成功しました。
その後、ジュネーブはスイスにおける時計製造の中心となり、その技術力を隣接する地方にも広めるリーダー的存在になっていったのです。
しかし、ジュネーブではギルドへの縛りが強く、時計造りが細かく規制される傾向がありました。
そのため、製造方法から販売経路まで、より自由なものづくりを求めた職人たちは活動拠点を徐々にスイス南西部から北西部へと移しました。
また、生産性の向上を図るため、移住した大半の時計職人は時計造りを30~54の製造工程に分けて、ひとつの工程のみを行う様々な専門職を育成し、自身は全工程を監督役として統括するプロデューサーを担う新たな生産スタイルを生み出しました。
これは多くの製造業者を1カ所に集めて作業を効率化することで大量生産に成功したドイツを始めとする他国の時計産業に対抗するための策略でした。
これにより、スイスの時計産業は19世紀に入ると数十年でその生産性を著しく増加させ、「世界一の時計王国」と言われるまでに成長したのです。
いかがでしたでしょうか?
時計産業の初期はドイツやフランスを中心に栄えていったんですね。
もしも宗教改革が起きなかったら、現代の時計産業はどうなっていたのか?誰もが知るようなスイスの有名時計ブランドも誕生することはなかったのか?などいろいろ想像してしまいます。
今回は時計産業の発祥からスイスが世界一の時計王国になるまでを辿っていきました。
しかし、順調に発展していたスイスの機械式時計産業は20世紀に入り冬の時代を迎えることになります。
その背景にあった出来事や、どのようにしてその危機を乗り越えたのかについては次回解説していきます!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
それではまた次の記事でお会いしましょう!
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