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ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
今回は「機械式時計を知ろう!」シリーズの第3回目といたしまして、機械式時計とクォーツショックについて解説していきます!
クォーツ式時計の登場は、機械式時計産業にどのような影響をもたらしたのでしょうか?
前回までの記事はこちら!
機械式とクォーツ式の違い
腕時計は、一般に「クォーツ式」と、「機械式」に大別されます。
クォーツ式時計は電気エネルギーによって中の水晶(クォーツ)を振動させて針を動かしますが、機械式時計はゼンマイを巻き上げ、それがほどける力をエネルギーとして針を動かします。
クォーツ式の最大の特徴は精度が高く、時間が狂いにくいことにあります。一度、時刻を合わせたら月に10秒ほどしかズレません。
ただ、当然ながら電池の残量が無くなれば止まりますし、電子回路の故障は修復できないことが多く、内供構造ごと入れ替える必要があります。安価なクォーツ時計の場合は、時計の本体価格よりも修理費用のほうが高く付いてしまう為、買い替えたほうが安い場合もあります。
秒針の動きは「ステップ運針」と呼ばれ、1秒ごとに秒針がカチカチと動きます。
一方、機械式はクォーツ式に比べ1日に15秒ほどのズレが許容範囲とされていますが、ゼンマイさえ巻き続ければ半永久的に動き続けます。
ゼンマイを都度手動で巻き上げる時計を手巻き、内部のローターが時計を装着している腕の日常動作によって自然に回転し、自動的にゼンマイを巻き上げてくれる時計を自動巻きと呼びます。
秒針は1秒おきではなく、流れるように動き続けるため「スイープ運針」と呼ばれています。
クォーツショックとスイス時計産業冬の時代
1969年、日本のセイコーが世界初のクォーツ式腕時計を発表しました。
これにより、世間の時計に対する価値観は一変します。クォーツショックの到来です。
セイコーが開発したクォーツムーブメントは従来の時計の常識を覆します。
・機械式時計を遥かに超える精度
・ゼンマイを巻く必要がない
・衝撃に強い
・製造コストの低さ
当時の機械式時計業界は各社がより優れた精度を目指して凌ぎを削っていましたが、クォーツ式時計の精度はそのすべてを無に帰すほどに優れていました。
まさに時計業界における革命となり、これをきっかけに腕時計はクォーツ式が主流になっていきます。
クォーツ式時計が普及すると、時計技術にノウハウがない企業であっても時計の製造が可能となり、人々は安くて正確なクォーツ式時計ばかりを求めるようになります。
それに伴い機械式時計の需要は下がり、スイス時計産業は非常に苦しい状況に置かれることになりました。
また、同時期に起こったスイスフランの高騰、オイルショックによる生産コスト・原材料の上昇、人件費の上昇などによって売上が激減。
1980年代前半の輸出高は1974年と比べると半分以下にまで落ち込み、多くの時計メーカーが廃業に追い込まれました。
世界最古の時計ブランド【ブランパン】は事業を一時休止。
エルプリメロの開発で一世を風靡した【ゼニス】も機械式時計部門を売却。
一説によると、1970年に1600社以上あったスイスの時計企業が1980年代中頃には600社を割り込み、時計産業の就業者数も1970年の9万人から1984年には3万3千人に激減したと言われています。
文字通り、機械式時計産業から見たクォーツ式時計の普及はショッキングな出来事だったのです。
機械式時計の復興
この逆境にスイス時計産業は新たな組織と戦略で対応します。
もともと提携銀行側でコンサルタントをしていた ニコラス・G・ハイエック氏 の案で、経営が行き詰まっていた大手2社【オメガ】【ティソ】を主体にしたSSIHと、【ロンジン】【ラドー】を主体にしたASUAGを合併させて、SMH(現スウォッチグループ)という新たな組織を設立します。
生産システムの合理的な再構築と、新たなマーケティング戦略の再検討がこの合併の狙いでした。
SMHは手始めに、ファッションを切り口にした使い捨ての安価なアナログ時計【スウォッチ】による“スウォッチ戦略”によって失ったボリュームゾーンを蘇らせようとしました。
1983年から販売を開始したスウォッチは、巧みな販売戦略によって1992年には累計販売数1億個を達成。
合理的な生産システムによる大量生産・コストダウンのみならず、全世界のおしゃれな都市の中心街に「スウォッチ・ショップ」を作って大量販売に成功し、安くてもおしゃれで付加価値が高いというビジネスモデルを創ったのです。
この量産効果による収益で、工場の再稼働や雇用の再創出を生み出し、スイス時計産業のベースが再興されました。
また、SMHは傘下ブランドのコンセプトの違いをはっきりとさせ、相互補完をしながらモデル数を絞ることで、生産・マーケティング両面での合理化を図りました。
特に【オメガ】には、グループ内の基幹ブランドとして集中的に資源を投入していきます。
付加価値の高い機械式ムーブメントや優れた外装デザインに集約させ、ブランドの持つ歴史に焦点を当てたり、有名なブランドアンバサダーを起用した巧みな宣伝販促を行ったのです。
新たな大規模グループによる生産システムとマーケティングでの巧みな戦略は、スイスの提携銀行グループの信用を勝ち取り、多大な融資を得て業界全体を段階的に復興させていきました。
業界のグループ化の流れは他のブランドにも波及し、2024年現在では「スウォッチ」のほかに「リシュモン」「LVMH」が腕時計の三大グループを構成しています。
一方で、機械式時計が持つ「芸術性」に目をつけ、これまでとは別のマーケティングでその魅力をアピールしようと考えるブランドも現れます。
その先駆けとなったのが【ブランパン】、そしてジャン−クロード・ビバー氏 です。
ビバー氏は“時計界のスティーブ・ジョブス”とも称され、常に時計業界を牽引し、現在でも革新を与え続けています。
機械式時計は必ず復興できると信じていたビバー氏は、休止中だったブランパンを1983年に買収し、復興に尽力します。
ブランパンとビバー氏が行った戦略は、「ウルトラスリム」「ムーンフェイズ」「パーペチュアルカレンダー」「スプリットセコンドクロノグラフ」「トゥールビヨン」「ミニッツリピーター」という機械式時計ならではの機構を取り入れた時計を1年ごとに発表することで、機械式時計の素晴らしさを世界に発信していきました。
これらの機構はクォーツ式時計では表現することが出来ないため、次第に機械式時計は芸術性の高い美術工芸品のようなポジションを確立していきます。
「機械式時計にしかない魅力を全面的に打ち出す」ことに重きを置いたビバー氏の考えは、クォーツ式時計の登場により機械式時計の存在を忘れていた人々の心を大きく動かしたのです。
こうした機械式時計における高付加価値性などがマーケティングによるイメージ訴求により、高価格帯の領域におけるラグジュアリー時計ブランドビジネスとして確立されていき、1991年から2011年までの20年間で、スイス時計の輸出総額は約4倍にも拡大しました。
ブランパンの復興により機械式時計は再び注目を浴びるようになり、オメガ、パネライ、IWC、ランゲ&ゾーネといったブランドの復活や ウブロ、フランクミュラーなどの新興ブランドの誕生と共に盛り上がりをみせるようになったのです。
最後に
いかがでしたでしょうか。
クォーツ式時計の登場により一時は衰退の一途を辿っていた機械式時計産業。この問題を解決するために、まさかクォーツ式時計の人気を利用した戦略が行われていたなんて驚きですね。
世間のニーズがクォーツ式時計に集中していくなかでも、機械式時計を愛し、その高度な技術を絶やしてはならないと奮闘した人々がいたのだと思うと、機械式時計がもっと魅力的に見えてきました!
最近ではスマートウォッチの市場規模が著しく成長していることもあり、腕時計業界に大きな影響を及ぼしています。
これからの市場の動きにも注目していきたいですね。
このブログ記事を通して機械式時計の歴史や魅力がすこしでもお伝えできたら嬉しいです!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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