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後のパネライCEOアンジェロ・ボナーティの元に一本の電話が入ります。
「パネライという無名のブランドを一から立ち上げるため、私と一緒に冒険してみないか?」
電話の主はフランコ・コローニ氏。時は1997年のことでした。1980年以来、コローニ氏と共に仕事をしてきたボナーティ氏にとって
コローニ氏は「最も尊敬すべき人物であり、大きな影響を受けた」と語っています。1994年まではヴァンドーム(現リシュモン)グループのイタリアきってのセールスマネージャーとして
辣腕ぶりを発揮していたアンジェロ・ボナーティ。
その後、高級ファッションブランドが彼の手腕を買ったため
1997年時点ではヴァンドームを離れていたボナーティ氏に突如コローニ氏から
パネライ復活プロジェクトのオファーが入ったのです。コローニ氏はパネライ復活を決意した時点で、そのプロジェクトの要に据える人物には
アンジェロ・ボナーティ以外には浮かばなかったのでしょう。
「これは絶対に面白い事になるぞ、挑戦すべきだ」と直観し、
条件も聞かずにOKをしたとボナーティ氏は言います。ボナーティ氏の役割は、時計市場におけるポジショニングや販売方針など
マーケティング戦略を打ち立てる事でした。
そこで、2つの事実に着目します。
・イタリア海軍に納品されたパネライウォッチは60年間で300個しか作られなかったこと。
・その時計は特殊潜水工作部隊の兵士のみに使用が許可されていたこと。このしっかりとした裏付けから、ニッチにセグメントしたブランドに位置づけ
さらにパネライウォッチは水中における極限状態に耐えられる
ミッションウォッチとして開発されたものであり
製品としての信頼性を最も重視した、高い品質を維持するため、
年間生産本数を厳しく制限し、本当の価値が分かる顧客だけにアプローチできる様
限定された店舗にて販売展開を構築していきました。「復活プロジェクトがスタートして以来、我々の戦略はまったく変わりませんし、
将来変えるつもりもありません」
1998年の正式発表以来、パネライは世界に大きな反響をもたらす事となります。prev.2019.02.21
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