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ラジオミールとルミノールという歴史に名を刻む時計を誕生させたパネライ。
しかしイタリア海軍と共に発展したパネライ社の経営は
時代や国家の情勢によって衰退していきます。ではパネライはどのようにして、今のラグジュアリースポーツウォッチブランドしての地位を確立していったのでしょうか?
パネライを復活させた重要な人物達についてお話します。
「1993年にオフィチーネパネライ社は、従来モデルのレプリカを市販用として売り出しました。
最もその時点では、パネライと関わりを持つなどとは思ってもみなかったですね。」かつてこの様に語ったのは、リシュモングループ最高経営会議のメンバーであり
パネライ復活のキーマンであるフランコ・コローニ氏でした。1990年代に入り、イタリアは国家の財政危機により軍備の緊縮予算を余儀なくされ
軍需に頼っていたパネライ社はその影響をまともに受け経営難に陥ります。
苦肉の策でもあった、軍用時計のレプリカの販売も、
社の経営危機を救うほどの効果はもたらしませんでした。コローニ氏は幼少期に体験した戦争の悲惨な記憶から
戦争で使う時計というパネライのイメージを素直に受け入れられなかったと言います。
それでも、心の奥底ではパネライの魅力を直観的に感じ取っていたようで
彼の友人であり大のパネライ・ファンでもある俳優のシルベスター・スタローン氏に
案内され実際にミラノの時計店までパネライのレプリカを見に行っています。「パネライとは本当はどういう時計だったのか?」
「その背景に潜む真実はなんだったのか?」
「イタリア海軍とパネライはどのような関係だったのか?」1996年、コローニ氏はイタリアの時計学校教授に調査を依頼します。
「イタリア海軍の特殊部隊の作戦を遂行した勇敢な英雄たちは、ときには敵兵の人命をも救った事実があります。
その英雄たちの作戦を支えることができた唯一の時計がパネライ・ウォッチだったのです。
その時代を超えた真のストーリーを持つ本物の時計に、新たなコンセプトを与えることにより
パネライは生まれ変わると確信しました。」そして年が明けた1997年
コローニ氏は一人の重要な人物に連絡を入れる事となります。
後にパネライCEO(2018年に退任)となるアンジェロ・ボナーティ氏でした。
その後の1997年3月にヴァンドーム(現リシュモン)グループがパネライ社を買収。
ここからパネライの復活プロジェクトが急展開を始めていきます。prev.2019.02.20
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